ソンチョル’s blog

日々の生活で感じた思いをブログに載せています🍅

女性とか男性とか論じている場合ではない

女性とか男性とか論じている場合ではない。

最近何かと話題のLGBT

 

L=Lesbian     ➡ レズビアン

G=Gay        ➡ ゲイ

B=Bisexua l   ➡ バイセクシャル

T=Transgendar ➡ トランスジェンダー 

 

レズビアン     ➡ 女性が女性を愛する人

ゲイ        ➡ 男性が男性を愛する人

バイセクシャル   ➡ 性別を区別しないでどちらも愛すること

トランスジェンダー ➡ 男性として生まれたけど中身は女性の方

            女性として生まれたけど中身は男性の方

 

ざっとこんな感じで分類されています

 

ですが僕はこう思うんです

 

女性だって男性らしいところがある

男性だって女性らしいところがあると・・・

 

そんな風に区別しなくても

別にいいのではないか

そう思うのです

 

僕も一人暮らしをしていますが

女性らしいところがないと一人暮らしができないと思うところがあります

というかそもそも成立しない

そう思うのです

それは

たとえば洗濯とか掃除とか

ごみを出すことだって

家の中のレイアウトを考えることだって

すべて自分の生活に直結する問題なのできちんとします

 

逆に聞きたいんですけど

では現代において男性らしさって逆になんですか?

と聞きたいです

女性らしさって何ですか?って問いたい

僕も普通に勤務で仕事に出かけますが

勤務先の男性、女性を見ていると

男性だって女性っぽい繊細な作業が必要な時はあります

女性だって男性っぽい人だっているだろうし

男性に負けないくらい働いている方もいらっしゃいます

 

このように現代において

女性の社会進出や

女性の権利主張は先進国であればあるほど

高まっていると言えます

 

あからさまに女性だからとか

男性だからこうしないといけないとか

昔ながらの固定観念的な考え方に縛られていると

そこで可能性が途絶えてしまうのではないかと僕は思うのです

 

この考え方は何も

LGBTに限らないと思えるのです

 

僕は今独身で一人暮らしをしていますが

よく母親が僕のアパートにたまーに来てはこう言います

「男なんだから自分が好きな女性がいたらあなたが声をかけるんだ」

それを当たり前のように今でも僕に言います

 

どう思われますか?

 

これを当たり前に言うこと自体がおかしな話だと

僕は思えるのです

 

僕はそう言われたらこう答えます

 

「男性がある女性を好きになったとして

女性が男性を拒否したら何もできない

それ以上男性が話を進めようと思っても

仲介人の人がいたら止めるだろうし

下手したらストーカーだと言われて犯罪者として捕まる

満員電車に乗っていて何もしていないのに

女性の隣に立っているだけで訴えられる社会だ

そう思うと現代の男性は女性から声を掛けられるくらいがちょうどいい

だから僕から行くことはおそらく今後もない

相手が言ってくるのをただひたすら待つんだ

相手が必要だと思ったのならアクションがあるはず

ないということはいらないということだ」と・・・

 

こんな内容の話を何度母親にしても

母親は決まって同じ話を繰り返し会うたびに

当たり前のようにしてきます

 

理解できないのか

固定観念が強すぎるのか

母親に話してますが

父親も同意見のようで

「そんなことない」的なことを言ってきます

 

そして過去に僕は実家に親と住んでいた時

この論争的なことを話してひとつの結論に達します

そしていつしか物事を悟ったかのように

母親にこう言ったことがあります

 

「親が生きている間はおそらく結婚することはないだろう」と・・・

 

父親、母親が生きている間は

僕は結婚することはない

そんな風にその時感じて発しました

母は泣いていましたが

今もちょっとその考え方はある種

当たっているのではないかと思うのです

 

僕は親とそれこそいろんな話をしましたが

僕は今一人暮らしをしていて

とても心地よいと思える日々を過ごしているのではないかと

思います

 

誰にも何も言われない

誰かと衝突することもない

 

しかし自分のアパートで起こっていることは基本

自分で解決しないといけないのは

確かです

 

解決するためには苦労をするかもしれません

家事が嫌な人は家事をやるのが嫌だ

そんな人もいるでしょう

料理を作るのが好きな人も

後片付けが嫌だという人も

中にはいるかもしれません

 

僕も最初は料理も後片付けもまともにできませんでした

つらかった

苦労もした

やりたくなかった

でも人間はその環境に慣れるものです

 

毎日の生活の中で

どう生きていけば自分が一番心地良いか

どんな生活をすれば気持ち良く生きられるか

どんな生活サイクルだと快適に過ごせるか

考えるようになりました

というか自然とそうなっていきます

 

だって全部自分に降りかかってくる問題ですので

自分しか解決することはできません

 

自分で解決するといっても

最近だとSNSがかなり発達しているので

SNSで発信している人をキャッチして

いろんな人の動画や記事をみて

そこから学べば良い

 

それを考えると

何年か前よりも苦労することは

少なくなったかもしれません

 

無料で見れますし

必要以上に見る必要はないので

 

生活のプラスになることが

たくさん無料で配信されているので

参考にするのは自分の人生の助けになりますよね?

 

僕も随分助けてもらいました

この場を借りてありがとうと言いたいです😊

 

ただひたすら感謝です🎉

 

今はあまり言われなくなりましたが

草食男子が話題に上がった時期もありました

 

その言葉も最近は聞こえてきませんね

 

生き方が豪快だから格好いい

そういう時代はもう終わっているのかな?

 

僕は基本的にそんな昔ながらの恰好がいい生き方が

嫌いではないですし

否定しているわけではありませんが

とても自分にはできません

 

少なくても

そんな生き方は自分には当てはまらない

そう思っています

 

こまめに生きて

マメに地道に生きる

そんな自分らしく生きること

派手なことはせず

自分自身が良いと思える生き方で

僕は生きています

 

生活面だけでいうのであれば

こうも言えます

たとえ僕がお金持ちになっても

たぶん今の生活を続けていると

どこか思えるのです

なぜか・・

 

お金によって自分の人生が変わってしまうなんて

今の僕にはとても思えない

 

お金に縛られる人生なんて

つまらない

でも生活の基盤はお金によって成り立っている

 

たしかにお金をたくさん得たなら

気持ちも楽になるかもしれません

裕福な暮らしがしたい

有意義な時間を過ごしたい

優雅な時間を過ごしたい

でもそれは

お金がなくてもできるような気がします

お金を得ても得なくても

どちらでもかなえることができるような気がしてるんです

 

お金とはそれこそ

うまく付き合いながら

無理せず、背伸びせず

自分らしく節約して

生きていければいいと思っています

 

誰にも指図されず

素直に生きられたら良い

 

だから特にお金なんて必要ないんです

 

幸せであればそれでいい

 

幸せではない自分の人生を生きるくらいだったら

お金なんていらないと本当に思います

 

そんな風に思うのです

 

でもたまーにお金欲しいと心の中で思ってしまう自分もいます

 

そんな割り切れないのが人間らしさなのかもしれません

 

 

何かにこだわる生き方ではなくて

自分しか出せない人生の答えを追い求めながら生きることが

一番幸せのような気がしています

 

ある意味それを体現しているのが父親のような気がしています

 

お金目当てに動いていない

自分らしく生きている

必要な時だけお金があればいい

 

そんな

何かの影響をある意味受けない

何かに影響されない自分らしい生き方

 

自分らしい答えの見つけ方を

探して生きていきたいと

心に誓う今日この頃です

 

女性とか男性とか論じている場合ではない

 

自分らしく生きていけばいい

 

誰にも当てはまらない

 

ほかの誰でもない

 

自分なんだ

 

一人の人間なんだ

 

それで良いような気がしています