ソンチョル’s blog

日々の生活で感じた思いをブログに載せています🍅

経験値の質が違う

学生時代の時の経験値と

社会人になってからの

経験値は

同じだと思っていたけど

やっぱり

違いを感じてきました

 

近年の体験データによれば

学生時代だった時の体験は

薄かったイメージ

いまは

濃いイメージ

 

つまり

濃密になった

より深く知ろうと思うようになった

知らないもの、知りたくないものは

関わらない

知りたいもの、ピンとくるもの

その物事に

没頭する

そんな時間が増えたような気がします

 

濃密で

味わい深い

人生の大切だとしか思えない

時間を過ごすことができた体験は

たぶん一生忘れないんだろうなぁ~

思うのです

 

人生で

そんな濃密な時間を味わうことができたのは

つまり

順番が来たということ

 

死ぬのも順番

チャンスが来るのも順番

 

世の中はそんな風に

回っているとふと思う時がありあります

頭をよぎるというか

通り過ぎていく感覚を覚えます

 

気のせいと思っていたけど

たぶん合ってる

そう思うのです

 

濃密で芳醇なうまみを味わうことができる時間を送れたら

つまりは

どんなことをしていても

幸せと感じるでしょう

 

でも逆にそれは

ほかの人が見えない苦労をしているからだと

どこか

冷静になることもあります

 

自分が幸せだという事は

誰かが陰で支えているからなんだ

いつしか

そう思うようになりました

 

それは

自分が苦労していたから

そんな体験を思い知ったから

だと言えます

 

でも

有意義とも言える時間を過ごしている時は

そんなことを考えられる余地は全くないので

考えられないのですが

確実に一度現実に戻ると

ふと

そういう冷静さが頭をよぎるものです

 

こんなことも

わざわざ

なんでブログで書く必要があるのかと聞かれたら

なんて答えてよいかわかりませんが

それでも

それわかる

なんて思いを言語化することが

現代では特に

重要とされるようになったから

だと返したいと思います

 

人々がつい

忘れがちになってしまう事

特にわざわざ言語化しなくてもいいのではないかと思うような小さな出来事

そんな

ありふれた日常で起こっている

日常茶飯事的な事でも

こうやって

言語化して

記録として残す

人の記憶に残す

思い出に残す

それが今

より必要不可欠になってきているのではないかと

思うのです

 

たしかに

わざわざ

言語化しなくてもいい

僕もそう思います

 

じゃぁなんで

言語化するのかと言われれば

こう答えます

 

時代がそれを望んでいるから

 

 

意味があるか無いかなんて

自分が決めることではない

他人が決めることだ

他人とはつまり

世の中が決めることだ

だから

意味がないと思っても

求められているならそれに応えるのがいわゆる

ビジネスの原点

そう言い切れるのではないかと思うのです

 

そんなつもりで

日々

日常生活で忘れがちになってしまう事柄を

わざわざ

言語化しているのです

 

意味はないかもしれない

誰にも届かないのかもしれない

でも

少なくても

自分には届いている

それでいいような気がします

 

理由なんて

どうだっていい

とにかく

やりたいからやるんだ

それくらいでいいです

 

とにかく

何が言いたいのかというと

経験値は幼少期と比べると

より濃く

より深く

感じるという事

 

つまり

物事を深く考えられるようになったという事

 

つまり

昔よりも

今のほうが

より価値観として

変化している

意味のあることだと思えるようになっている

様々な出来事が

 

ということです

 

貴重な時間を使って

より深く物事を考え

より意味のある体験を自分に課すことによって

それがつまり

自己投資となり

それが

より大きなお金を産む

そう思って

何事もがむしゃらに取り組めばいい

ということを

言いたかったのです

 

脱線しがちになるのは

性格なので

治りません

ご了承ください