ソンチョル’s blog

日々の生活で感じた思いをブログに載せています🍅

自分の心に引っかかる何か

なんで頑張るのかわからないけれど

なぜか頑張っている自分がいる

 

そんな時

誰だってあると思います

 

本当は休みたい

休息したい

ほっといてほしい

そんな気持ちがよぎるのが

人間の心理です

 

僕はどちらかというと

ほっといてほしい

と思うことが多い

 

誰かから

ほっといてほしい

 

どんなしがらみがあるかわからないけど

とにかくほっといてほしい

そっとしておいてほしい

 

そう思うのは

不自然でしょうか?

 

昔から呪縛のように

僕の人生は

自分で生きている感覚はなく

誰かに操られている

そんな感覚を覚えていたりします

 

本当はそんなことはない

ただ

無知だっただけだ

経験値不足だっただけだ

 

そう

よぎるも

結局昔のことを思い出しては

昔はひどかった

暗黒時代だったと

思うのであります

 

それをほかのひとにいったこともありました

 

自分の学生時代はひどいもので・・・

的な話をしましたが

昔は分別ができず

何からもわけがわからず生きてきました

 

だったら人に聞けばよかったじゃん

そうとも思ったけど

本当に聞ける隙間があったのなら

聞いていたと思います

 

人にものを聞くときは

ちゃんと自分の心にその事柄が

蓄積していないとできないと思います

 

何度もその物事とぶつかって

自分では答えが出せない

そう思った時

初めて人に聞ける準備ができたという事だと思います

 

準備ができても

いつでもどこでもだれにでも

聞けるわけではない

 

そう

タイミングも大切なのです

 

タイミングも大切だけど

聞いた時に自分がその物事をちゃんと理解できるのかと言われると

そうでもなかったりもするのです

 

そんなことの繰り返しの中で

ほんとうにその物事を理解できる日がやってくるのか

あるいは

その物事を忘れてしまうくらい

長い年月が過ぎるのか

それは

わかりません

 

そうやって

いろんな体験のもと

初めて次の段階に行ける準備ができる

 

ちょっとかっこよくいうと

次のステージにいける

そう思うのです

 

聞いたって理解できるとは限らない

話を聞いたって何も感じないかもしれない

 

だけど

問題は一向に解決されないまま

人生は過ぎていきますよね

 

ずっと心の中に引っかかってはいるものの

その出来事とぶつかりもしないのであれば

忘れていくのが落ちです

 

本当にその出来事が

自分の人生の役に立つのかどうかもわからない

 

学校の勉強も

社会に出たときの職場で習った知識や技術も

本当に自分の人生の

役に立つかどうかなんて

千差万別です

 

でも

信じて取り組み以外に

選択肢はありません

 

ほかは

ただ

忘れるのみ

 

自分の心の引っかかっている出来事は

そうそう

ほかの人も引っかかるとは限らない

もしかしたら

自分だけなのかもしれない

でもそれを知るすべはほとんどありません

 

追求して

探求して

解決に向かったほうがいいのか

はたまた

役に立たないと

ほかっとけばいいのか

その人次第です

 

ほんとうは

どちらがいいんでしょうかね?