自分の仕事は
他人にはわかりません
他人の仕事も
自分には理解できません
仕事において
基本的なことは同じでも
そこに人の価値観が存在している以上
同じ作業のようでも
まったく違う動きに見える
これは
全く同じ内容だったとしても
言っている人によって
違う話のように聞こえるのと
全く同じ現象なのだと思います
だから
自分が自分である以上
自分の仕事は
他人には理解はできません
というか
他人の理解の外側に
自分の仕事が存在している
そうともとらえることができるのではないかと思います
どんな新人でも
どんなベテランでも
それは同じことで
新人の行動が理解できないのがベテランの常なら
ベテランの行動が理解できないのも新人の常なわけです
ある程度
熟練の域に達している職員であったとしても
新人の行動は読めないもので
そこには
新しい価値観を持った人間の参入によって起こる
ごく
当たり前の出来事なのかもしれません
世界は過去を塗り替えていく
でも伝えてように
そんな価値観の相違によって
世の中は回っているからだともいえるのかもしれません
価値観と価値観のぶつかり合い
ふれあいによって
世の中は回っている
だから
理解できないのも無理はないのかもしれません
そんな世界において
自分だけにスポットを当てるのならば
自分の仕事は
自分にしかわからないし
理解もできないと思います
それを何のためにやっているのか
どんな目的があるのか
理解してほしいとも思わないし
逆に理解してほしくはありません
理解できるという事はつまり
読まれているという事
底が見えているという事
足元を見られるという事
つまり
予測ができてしまうという事なのです
常に新しい何かを見出して
毎日が進むのであれば
読まれていては
自分の人生がつまらないものになってしまうから
読まれていてはいけないのです
そうやって
自分の仕事と呼べるものを
積み重ねていく事が詰まり
仕事
と呼ばれるものなのではないかと思うのであります
人間社会は常に
そうやって回っているような気がします
新しい価値
新しい商品
新しい発想
新しい出来事によって
世界はちょっとずつ変化していく
その放流の中で誰しも
生きていると思います
だから人生は
自分が仕事だと思うことを
ただひたすら
積み重ねていく
それが人生であり
その人の一生を物語るのです
そうやって誰しも
生きているのです
だから
理解できないのも無理はない
でも
必ず誰かの心には
届くはずとも
個人的には思います
誰かに届け
それが誰であるかはわからないけど
それが見ず知らずの
全く知らない誰かであってほしい
そう願っています