ソンチョル’s blog

日々の生活で感じた思いをブログに載せています🍅

一人の時間 ≠ ストレスフリーな時間

一人の時間を作ることは

なにも

一人でいさえすれば作れるわけではありません

 

一人の時間を作るという事は

誰ともかかわることなく

・・・

言い換えると

誰ともかかわっていない捨てレスフリーの状態で

時を過ごすという事です

 

誰かによって

活かされている感覚をもって

追われている感覚を持っている状態は

もうすでに

一人で過ごしていても

自分の時間を過ごしていないため

一人でいても

常にだれかからストレスを受けている時間ということになります

つまり

この場合は

一人の時間を過ごしていない

言い換えると

ストレスフリーの時間を過ごしていないことになります

 

人間には

ストレスを受けない

そんな空間、時間が必要なのです

 

誰かにストレスを感じている

何かにストレスを感じている

何かにとらわれている

取りつかれている

そんな感覚を覚えている時

ひとりでの時間がたとえ過ぎようとも

やっていられない

自分の時間ではない

もっと有意義な時間を過ごしたい

こんな考えにどうしてもシフトチェンジしていくもの

だと思います

 

じゃぁなぜ

人間には

一人の時間が必要なのでしょう?

 

なぜ

ストレスフリーな時間が必要なのでしょう?

 

そう考えてみた場合

考えられるのは

いくつかはあると思いますが

ひとつは

孤独を感じたいからなんだと思います

 

人間社会で生きていると

どうしても

人間と人間が触れ合う時間が在りすぎてしまいます

 

だから

その均衡を保とうと

一人の時間が必要なのです

 

人と触れ合ってる時間と同じくらい

一人の時間を保つことで

人間はバランスをとっているのです

 

確かに世の中には

人と触れ合っていたほうが

気持ちが落ち着いたり

居心地が良いひともいるでしょう

 

それは人それぞれだとして

自分もそんな世界の中にいると

自分もそうなのかな?とか

もしかしたら他人と接していたほうが

自分も楽だし楽しいかもしれない

そんな風に勘違いをしてしまうこともあると思います

 

人と関わっているとどうしても

自分の価値観と他人の価値観がぶつかり合ったりするので

自分の価値観がゆがんだり

そう言った現象や状況は普通に起こっていると思います

 

だから

自分でもわからなくなってしまうものなのです

 

そこで改めて

自分の生活を振り返ってみた場合

本当は

一人の時間

つまりストレスフリーの時間が必要なのにもかかわらず

誰かと一緒にいたほうが良い

などと勘違いをしてしまうのです

 

間違いに気づいた時には

大体

遅かったりします

 

だから

どっかで人間関係を断ち切らなければならない

 

お互いにとって

それが一番だとわかっていても

いざ断ち切るのは

そんなに簡単なことではありません

 

でも

避けても通れないのかもしれない

 

世の中はきれいごとだけが

存在しているわけではありません

 

きれいごとが存在しているという事は

それに至るまでの

長いサクセスストーリーもまた

ちゃんとあるということ

 

現代にいたるまで

人間の歴史は

様々な出来事の上に

今の世の中が存在しているのです

 

自分の今を振り返って

改めて

そんな考え方と

自分の考えをリンクさせてみたりします

 

という事で

一人の時間は大切

だけど

一人の時間と言っても

ストレスフリーな時間が大切

ということに

結論は至りました