ソンチョル’s blog

日々の生活で感じた思いをブログに載せています🍅

集中してレースを走りなさい

人生のレースは

時間とともに進んでいます

 

進む道の先で

様々なものを目にし

時にはレース中でも

進むのを忘れて

ほかのことに明け暮れる

そんな日もあります

 

しかし

自分の人生のレースは

自分が死ぬまで続いていくわけです

 

投稿の中でも

述べたかもしれませんが

自分のレースは

自分にしかわかりません

つまり

自分がそれが人生だと思えるものは

自分にしかわかりません

 

自分がそれが人生のレースだと思うのであれば

そのレースを

時間が限られている分

走り続けることが

人生を生きるのに必要になってくる

そうとも言えます

 

集中できないこともあります

それは外的によって起こる場合のほうが遥かに多い

 

外的と書きましたが

外敵とも取れることです

 

自分の人生を

助けてくれることが、支えてくれることが

かえって邪魔になるケースも多い

 

結局どこまで行っても

誰かの助けを借りて行うものなのではなく

あくまで

自分のレースは自分で走るものです

 

そこで失敗しても

誰のせいにもならない

 

誰かのせいにしたいときは

誰かの影響を受けて失敗したときのみです

 

自分だけの理由で失敗した場合は

時にその原因をもちろん

外的なものとしてとらえたい気持ちになったりもしますが

どこまでいっても

答えは出ないものです

 

本当に純粋に

自分の取り組んだことが

本当の意味で失敗したのなら

その理由を己から見つけ

そこからゆっくりと立ち上がって

対策を考え

改善をし

未来に向かって動き出せるはずです

 

しかし

人間というのは

ひとりでは生きられないもの

 

一人で生きているように思えるときでさえも

だれかは間接的にかかわっていることが多い

それが

感覚的に感じられなくても

結局は関わっている

そう思ったほうがいいです

 

でも

人間は

一人の力で物事を成し遂げたいと思う生き物

 

自分の感じられるものが

一人の力でできたものだと感じられれば

それは

一人の成果として

考えられるもの

その喜びは

この上ない幸せで達成感に満ち溢れているものです

 

本当はそれまでには

色々な人に関わって

さまざまな教訓や教えをもらっているかもしれませんが・・・

 

よく

悲しみは仲間と分け合って半減する

嬉しさも仲間と分かち合ってより大きい嬉しさになる

なんて表現したり

そういうことがあった的な話をする人がいますが

たしかに僕自身も

無意識のレベルでそう感じている時はあるのかもしれませんが

そんな風にはまるで思わなくて

そんな

運命共同体のような感覚はありません

 

どこまで行っても一人の力

どこまで行っても一人の悲しみ

どこまで行っても一人の喜び

それを誰かと分かち合いたいなどと思ったことはないし

今までそんな経験をしたことはありません

 

これからも

そうだと思いますが

人によっては

隣に誰かいてくれたほうがいい

そんな人も中に入るようで

僕はそうは決して思わないですが

様々な人がいて

そこに様々な価値観があるのなら

もしかしたら理解はできないものの

そんな人は確かにいるのかもしれないと

思うことくらいです

 

とにかく

そんなさまざまな価値観の中で

集中して自分のやらなければならないことに集中して

物事を進めるなど

ほぼ

不可能に近いものなのではないかと

思うのであります

 

たとえ

それが正しい選択だったとしても

ひとりだと

怖くなったり

自分をうたがってしまったり

してしまうのが

人間という生き物なのです

 

このように

わかってはいても

できないのが人間の行動習性だという認識を持ち

それでもなお

自分のレースに集中して進んでいかなければならない

ながいながい人生は

さまざまな事柄を引きずりながら

抱えながら

そして時には

それを切り捨てながら

進んでいくのであります

 

これからも自分にそれが

やっていけるのでしょうか?