ソンチョル’s blog

日々の生活で感じた思いをブログに載せています🍅

自分しかわからない領域

人間は

よく

自分にしかわからない

そんな領域が存在すると思います

 

そんな領域は

もちろん

なぜわからないのか?と

他人に自分が思っていることを

わかってもらえない悲しさもあると同時に

誰にも踏み込まれたくない

テリトリー

つまり

聖域なのかもしれません

 

人間関係において

いろんなシチュエーションにて

それを再確認できる場面は

たびたびやってくるわけです

 

本当は踏み込まれたくない

でも

普段は気にもしない

そんな

見えない心の領域は

複雑で

体系化されていなく

見えない

心の中の

デリケートな部分つまり

領域となるわけです

 

人間関係において

それは

人それぞれの価値観によって異なり

というか

異なると思われ

それを普段確認することはできないとなっています

 

いくら親しい友人であったとしても

いくら身内だったとしても

結婚して男性が

結婚して女性が

家族と共に過ごしていたとしても

一人の時間がないと

心の平穏なバランスをとれないのと同じように

どんな人生のライフステージにいようと

それは変わりません

 

中学生には中学生の心の持ちようがあり

それはいうべきではない

そんな領域があります

 

大人になったからと言って

普段社交的で誰にでも笑顔を振りまける人であったとしても

心の奥底に土足で入られるのは

嫌なものなのです

 

そんなことも知らない

感じることもできない

考えられない

配慮もせず

入って来られればそれこそ

自分の身を守ろうと必死になるのは

ごくごく自然な出来事なわけで・・・

 

しかしながら

そんなことは

相手にとっては知ったことではなく

平気で土足で入られることに

いつしか苛立ちや無力感を感じてしまう

毎日を送っていると

いつしか

その行為自体が嫌になり

拒否的な感情になったり

拒んだり

するわけです

 

そしてその時こう思うのです

 

普段の付き合いから

なぜそのことに気が付かないんだろう?と・・・

 

そうして考えてみた場合

そう思う本人が

自身が普段どんな風に過ごしていて

周りとどんなふうに接しているのか

誰かと争った後で

自身の行動を始めて振り返ることになるのです

 

失敗してはじめて気づく

嫌気がさしてはじめて気づく

間違いだと思って始めて振り返る

 

普段の自分の行動を振り返ってみて

 

というか

普段から自分の行動を振り返れる人など

そもそも存在しなく

普段は自分の行動は

毎日が忙しく過ぎていく中

いっぱいいっぱいで毎日が回っている分

振り返る機会など

そもそも存在しないわけです

 

争って初めて

そのことに気づく

 

争って別れて

初めて

その関係性に気づく

 

切羽詰まったときに

人間の本性が出ると言いますが

 

だれも

切羽詰まりたい訳ではありません

 

しかしながら

もし

自分の普段の行動が

自分を切羽詰まらせる原因を作っている過程だったとしたら

いっぱいいっぱいで過ぎていく毎日の中で

気づくはずもありません

 

言ったようなことが

普段から

よく起こります

 

改めて仕切り直して

普段の自分の心持(こころも)ちで

普段通り

同じ気持ちで毎日を生活できれば

それでいいんです

 

そしてまたこうも思えると思います

 

毎日の変わらない毎日を過ごせるのは

毎日

誰かが誰かを支え

その誰かも誰かを支えているそんな構想図が出来上がっているからこそ

人間は普段通り

生きることができのだと・・・

 

毎日の当たり前は

当たり前ではなく

ある意味

奇跡の領域

なのかもしれません

 

大人になればなるほど

普段の生活から逸脱した

普段とは違う毎日が

嫌になる場面は出てきます

 

普段と同じでいい

でも

ちょっとずつ違う

そんな毎日を誰もが送りたいと思うのではないでしょうか?

 

刺激的な毎日は

少しでいい

ほんの少しで構わない

 

何気ない毎日が

最高の日です