ソンチョル’s blog

日々の生活で感じた思いをブログに載せています🍅

自分が大切だと思うことは自分にしかわからない

自分の心の宿る出来事のなかで

これが大切だ

これだ!

的なものは本人しかわかりません

 

そしてもう一つ

たとえその人は大切だと思えるものが必ずしも

その人じゃない人にとって大切だとは限らない

ということ

 

自分自身が大切だと思うことは意外と

記録に残すという余地を与えないもの

記録に残さないと

とか

メモしないと

とか

録画した自分にとって重要と定めたものであったとしても

日にちが過ぎ

日にちが過ぎたのちに観たとき

意外と

大したものに映らないことってないですか?

 

人間の心理状態など

その程度なのです

たしかにその時は

大切だと思った気持に嘘はないかもしれません

しかし

それは

ほんとうにその時だけなのです

 

長続きしない

むしろ逆に考えると

長続きしなくてほんの一瞬しか思わないからこそ

大切だと思える気持ちになるのかも知れません

 

ずっと一途に

その物事について思い続けて

歳月が過ぎようと大切だと思えるものって

それは特別なんだろうけど

そのものとは不思議な関係としか言いようがありません

 

色あせることが悪いことなどではない

しかし

一瞬の輝きに目を奪われて

それこそ

過去にこだわっていま、そして未来に

そこ物事が足止めされているとしたら

いつまで引きずっているのかと客観的に外から言われたときに

人間はかちんとくる生き物なのです

 

こんな風に

過去にこだわっているわけでもないけど

結局客観的に見れば

そう見えてしまうのが

よく人間社会には存在してます

 

昔はよかった

などと年を重ねた人が言ったりしますが

懐かしむ程度などであればいいですが

ずっと引きずっているなど

見るに及びません

 

このように

大切だと思えたものが

時代とともに色あせていき

それと深いかかわりを持っていた人たちを

若い世代が客観的に見て

批判する

それが世の中の真理のような気がします

 

大切だと思った気持が悪いわけではない

その気持ちに嘘偽りがあるわけではない

しかし

そんなことにこだわって生きていたとしたら

本当の自分の人生を見失ってしまうかもしれない

 

年を重ねて

そう思うようになりました

だから人を疑うようになり

物事において自分が大切だと思うことをいとおしく思うと同時に

それを捨てていかなければならないと思うのかと

そう感じるわけです

 

これをトータルで考えると

人間社会は不思議な因果関係にあると言えるのではないかと思います

 

本当に大切なものなのであれば

それを

ほかの人にとっても大切だと思えるものに

アレンジして

世の再び送り出す

後世に伝えていく

そんな作業も同時に必要になってくるのではないか

 

ほんとうに大切なことなのであれば

その大切な気持ちや事柄を

周りに伝えても

ちゃんと伝わるはず

そう思うのです

 

自分だけが持っていていいものなのではなく

誰かに譲り渡す

そんな作業も

人間社会では必要になってくるのではないでしょうか?

 

難しいかもしれませんが

それが今を生きるという事に

つながるような気がします

 

自分が今現在生きているのだとしたら

それを伝えていく

それを分かち合うことができるようにしていく事も

同時に

生きるという事になるのではないかと

思うのであります