ソンチョル’s blog

日々の生活で感じた思いをブログに載せています🍅

宿題の意味がわからない

宿題の意味が分からない

 

自分が幼い頃

よく

学校に通っていた頃

よく学校では先生が

授業に宿題を出されていました

 

誰もが宿題をやるのが嫌

出されている意味が分からない

何のためにやるのか目的がわからない

 

といった

感想や意見が

蔓延していたのでした

 

そんな

当たり前

とも呼べる学校で出される各授業の宿題

意味が分からない

と思います

 

そもそも

何の目的があって

宿題を出すんでしょうか?

 

この問いにちゃんとした答えを出せる人間が

この日本にいるとは思えません

 

というか

説明されたりしても

一向に理解できる気がしません

 

説明できる人間がいたら

連れてきてほしいくらいです

 

それはなぜかというと

それこそ

高校生の授業なんて

理科に文学、国語、漢字、英語、数学

図工、美術、などなど

挙げればキリが無いというくらい

科目も多いし

それに対する対応の仕方も

先生の質や価値観によって

違うのです

 

物理の先生の意向と

美術の先生の意向や考え方は全く違く

同じ学ぶ事柄なのにもかかわらず

その多方面な考え方を求められるのに対して

高校生ごときが

それぞれ

目的意識を持てるわけでもありません

 

一体

誰のために勉強を教えているのかわかりません

 

これは

僕個人の見解であって

他の人がアタカもそうである

的なことを述べているのではありません

 

しかしながら

小学校1年生から

小学校6年間

中学校3年間

高校3年間

大学4年間の

長い長い人生の大切だと言える

16年間もの間

この

意味の分からない授業や宿題に

悶絶していた自分の過去を考えると

本当に意味が分からない

としか言いようがありません

 

何のために授業を受けているのか

誰のための授業なのか

何のための宿題なのか

そんなこともわからず

ただ

学校に行かなければいけないという

意味の分からない

法律?

みたいな体験を

大切な自分の人生の16年を

無駄にした

16年でした

 

としか

言いようがありません

 

自分に返ってきたものは

何一つなく

社会に放り出されると

何もできない

自分がいたという

みっともない人間の出来上がりてきな感覚を覚えます

 

当時の大人どもの

勝手な

自分勝手な考え方や都合に

結局

付き合わされた感じがしてなりません

 

そんな状態なのにもかかわらず

うちの親と言ったら

自分の息子に対して

対してケアをするわけでもなく

放任主義と言えば聞こえはいいですが

勉強をしろと言は言っても

悩み事やつらいことをしていることに対して

何を考えていたのでしょうか?

 

息子が

勉強が苦手意識を抱えているのに

それに気づいているのか

いないのかわからなないし

わかっていながら放置って

ネグレクトに近いとしか

言いようがありません

 

親も自分の都合の元

考えて行動しているにすぎないのです

 

そんな親に正直

ちょっとうんざりなんです

 

といった

愚痴しか出てきません

 

この間

親と会った時に

その話をしたら

集団生活を学ぶために

学校に行く必要はあるだろう

 

というのです

 

しかし

逆に僕はこう言ってあげました

 

集団生活を学んで

社会で何の役に立つの?

 

そもそも

集団生活って何?

 

と・・・

 

このように

僕の学生時代はそれこそ

暗黒時代と位置づけ

自主的に何かするわけでもない

問題意識を抱えてはいても

それを解決する能力も糸口も見当たらない

 

そんな

息が詰まるものでした

 

そんな生活が

今でも続いています

 

もうそんな生活に慣れてしまった

 

何のために生きているのか

わからない

そんな気持ちになったりもします

 

よく過去は変えられないと言いますが

たしかに過去は変えられないものの

振り返ることは

今後の未来に向けて

必要なのではないかと思うのです

 

目的がないもの

意識がないもの

目標がないもの

やりたいことが見つからないもの

嫌なのに続けているもの

 

こんな

意味の分からないことが

学校内だけではなく

社会でもよくあることなのです

 

社会でもよくあることということは

国でもよくあることなのです

 

人間社会は

それなりの過去の歴史から学び

日進月歩ではあるものの

徐々に進んできました

 

それが改善に向かっているのか

後退しているのかは

あまりにも規模や概念が壮大すぎて

一個人では決められません

 

すべて

良いことも存在するし

それに付随する

悪いことも存在する

 

そんなところでしょうか?

 

いま

学校内では徐々に

夏休みの宿題などが

縮小もしくは廃止する動きを見せている学校が

増えつつあります

 

背景には

先ほども伝えてある通り

夏休みの宿題をする意味が見つからないことです

 

出されたことをただこなす

やるだけでは

人間はある意味

指示待ち人間になってしまいます

 

言われたからやる

これだと発展性もない

伸びない

そんな悪い影響があります

 

だったら

宿題など

一切出さず

夏休み期間に自分がやりたいことを

学生一個人が自主的に考え

行動するように

そんな

発想力を鍛え

言われたことをやるのではなく

ゼロからイチを生み出せるように

していくために

どんどん自分から動く

そんな試みが良いとされている

良いのではないかと考え始めているのが

日本の現状なのです

 

これは

海外の国では

もっと進んでおり

日本では先進国でありながら

すごく遅れているイメージです

 

調べてもらえばわかると思いますが

先進国では

何事も自主的に考え

行動し

自分のとった行動の責任は

自分でとる

そんな試みが

逆に当たり前になってきている

もうなっている

そう言えます

 

大人になった途端

社会人になった途端

会社に入って自主的に行動

そんなことできるわけがありません

 

自分で考え行動しなければいけない癖が

学生時代に身につかなければ

いつつけるのか

意味が分かりません

 

こんな話をすると

学生は子供なんだから

こちらが教えてあげないと

なんでも手取り足取り教えてあげないとできない

 

そんな考え方や意見を言ってくる輩がいるんですが

正直

意味が分かりません

 

その考え方は

本当に学生のことを思っての発言なんでしょうか?