ソンチョル’s blog

日々の生活で感じた思いをブログに載せています🍅

ただただ純粋に生きることは不可能なのだろうか?

ただただ

純粋に生きることは

はたして

不可能の領域なのでしょうか?

 

人間というのは

いろんな気持ちに苛(さいな)まれます

 

妬(ねた)み

嫉(そね)み

 

人間はそんな感情とは意識しなくても

自然と

そういう精神状態になっている時がある

 

なっていたとしても

回避はできません

 

そう思おうと思って

できることでもないからです

 

ごく自然に

誰にも気づかれない滑らかなスピードで

誰にも気づかれないような浸透力で

その気持ちに心は支配されていきます

 

悲しい性(さが)としか言いようがありません

 

しかし

人間というのは

そういう生き物なのです

 

誰かに何かを思う気持ちは

誰かと触れ合った時

誰かとかかわったとき

誰かとすれ違った時

どんな接触によっても

簡単に安易に

起こってしまうものなのです

 

悲しい定めのような

そんな人間関係は

言葉では言い表せられないような

不思議な感情を産みます

 

でも

僕は少なくても

あまりそういった負の感情的な気持ちは

持っていたくないのです

 

というか

そういう風な気持ちになったとき

回避できるのであれば回避したいと思っています

 

でも先ほども書きましたが

回避できるものだけが存在するわけではありません

 

回避不可能な気持ちを

人間は抱くものなのです

 

そんな負の感情をもたらす環境が

確かに問題なんですけど

簡単にその環境から脱出できるのかというと

そんな簡単な事ではありません

 

人間一度そう思ってしまうと

どこかで何かが起こらない限り

果てしなくそう思ってしまう生き物なのです

 

三つ子の魂百まで

 

という言葉もある通り

人間というのは

幼少期に築いた感覚的な価値観は

自分が息絶えるまで

その価値観のまま

大きな変化はないとされているのです

 

ある意味恐ろしい

という見方もあれば

良い価値観なのであれば

重宝されるでしょう

 

このように

人間の価値観から放たれる

モノの見方、考え方は

その人の感情を支配し

ただ純粋に生きるには

難しい状況になっています

 

逆に悪い点を考えてみましょう

 

妬み、嫉みなど

人をうらやましいと思ったり

相手を蹴落とそうと思ってしまう感情は

自分がもう少し

評価されてもいいというような

裏返しなのかもしれません

 

さまざまな感情のあれこれが

自分の精神状態を支え

それが原動力になるのであれば

それが生きる力となるのです

 

逆境をバネに

苦境を乗り越えることによってのメンタル強化に

 

そんな

逆転の発想が

世の中を支えている部分も

あるのではないかと思います

 

というように

人間のさまざまな感情は

ただただ

純粋に生きたい僕にとっては

いろんなことを逆に教えてくれる材料にもなっている

とも言えるのですが

本音は

ただただ純粋に生きれたら

楽なのにな

なんて気持ちがどうしても働いてしまうのです

 

大人になればなるほど

年を重ねれば重ねるほど

人間というのは

いろんな感情にさらされて

変化を繰り返していきます

 

様々な体験に

感謝と恐怖を感じながら

今を生きています