ソンチョル’s blog

日々の生活で感じた思いをブログに載せています🍅

誰かのために生きることは素晴らしい事である

誰かのために生きることは

素晴らしい事である

自分のために生きていることは

時につまらない人生をうみます

なぜ自分のためにしか

生きていないんだろう?

もっと人の役に立つ生き方がしたい

そう人は思う時もあるでしょう

その純粋とも言える思いを

ちゃんと口にしたり

行動したりして

この世にちゃんと残す

せめて生きている間は

人の役に立つような人間でありたい

そう願うはずです

そんな純粋な気持ちを大切にし

日々の生活でその思いを体現する

人の役に立つためには

努力も必要です

何の役に立つかは

正直言ってわからないことも

少なくありません

こんなブログも

誰かの役に立てばいいとは思っていても

見てる人からすれば

たいして

役に立ってないような気がしてます

そもそも

人の役に立つようなブログなんて

そもそも無理な話なのかもしれませんね

でもそれでも

自分のその純粋な気持ちを

それでも意味がないのかもしれないが

体現しこうやって日記のように

残していることは

自分の人生にとって

意味のあることだと思えます

そしてそんな純粋な気持ちは

いつでもどこでも発揮

できるわけではありません

頭が混乱して

仕事帰りにお腹がすいてる

疲れ切っている状況だと

良い記事は書けません

こんな風に

深夜に落ち着いて

静かな空間でこそ

良い記事が書ける場合もあります

こんな風に

いつでもどこでも

書けるわけではありませんが

そんな自分の状態や

その中で書くという状況、環境は

ひとつの作業のクオリティを

高めたり低下させたりします

良い記事を書きたかったら

そんな自分がベストだと思える環境で

落ち着いて書くことが

ポイントとなってきます

過去に人から言われたこととして

記憶に残っているのは

「自分の記事を自己評価で発表したりしなかったししないほうがいい」

という事でした

自分にとって

意味がないとしか思えない投稿でも

それを見ている人は

別の感情を抱くものなのかもしれない

そんな考え方でした

このブログを見た人は

どんな気持ちで読むんだろう?

そもそも読んでいるのか?

などの憶測が自分の中で

ふつふつと湧いてきますが

それがあっているのかどうかなんて

わかりっこありません

勝手に自分で査定せずに

読む人に任せてしまえばいい

僕も出来上がった記事は

出来る限り自分で読み返して

誤字脱字、文章がおかしくないか

チェックをしたり

良い記事が書けた書けなかったと

自己評価したり最近ではしています

勝手に評価せず

どこに刺さるかわからない

そんな記事の多くを

自分が恥ずかしいからとか

意味がないとしか思えないからだとか

そんな理由で書かない

書いても削除してしまうのは

正直もったいないです

過去僕も

うまくいかなかった記事を

削除したり

書きたくないという気持ちを優先して

書かなかったりしたことがあります

でも

結局どちらにしても

結果良い事はないと思えたものです

その時その記事を

書いたことに意味がある

そして

その時の感情や思いは

その時にしか思えない感情や思いだ

そう思うと

どんなに不細工な記事でも

書き残すべきだと思えてきました

勝手に評価せず

良い記事が書けなかったとしても

ちゃんと残しておくと

あとあと役に立つこともあるんだと

最近になって気づきました

何が人の役に立つかなんてわからない

自分で勝手に決めない

それは大切なのではないかと

感じています

書いていきながら

本当に書きたかったものに

出会うのかもしれない

また自分で書いていかないと

文章力も臨機応変さも

自分の頭の中も整理できないので

書くこと自体に意味がない事は

ありません

そんなようなことを

このはてなブログ

教えてくれたと僕は勝手に

思っています🐲

 

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