ソンチョル’s blog

日々の生活で感じた思いをブログに載せています🍅

感情と行動の関係についての考察

世の中には本当に他人を陥れようと

命を懸けている人もいるんだ

いう事も知ろう

人間というのは

善の感情もあれば

負の感情もまた存在します

大体の実生活においては

それがほぼ混ざり合っている状態

ですので

どこからが善か悪か

なんてことを判別はできません

だから人間はその

行動のみを審査基準とするのです

たとえどんな事象が起きようとも

その時々の出来事において

その場合の行動を

行動基準にのっとり

判断しているのです

でも人間の感情も行動しながら変化し

なおかつ

それが自分が思ったことなのか

それとも

たまたまそんな考えが

よぎっただけなのか

そんなもの判断が付きません

ということは

わからないことは多いのです

何か不幸が起こった時

人間は自分を恨む人間を想像します

何故不幸が起こったのか

その原因を自分以外の他者に

ゆだねようとするのです

もちろん自分の行動も省みます

しかしそれは自分である以上

知っている分あまり

意識自体はしないものです

でも本当に実際は

そんなものはわからないのです

何故幸運を呼んだのか

何故不幸が訪れたのか

そんなことを考える暇も

日常生活であるかないか

わかりません

あるとは思えません

現代社会において

そんな自分の生活を深く振り返る

タイミングなど

はたしてあるのでしょうか?

本題にも書きましたが

自分に起こっている不幸が

本当に他者の恨みのみで起こっているなら

その他者に与えた自分の行動が

問題ということになります

また

自分に起こっている不幸が

自分の普段の行動のみで

他者になんの影響も与えていない

自己だけの責任なら・・・

ってこれを考えると

そんなことありえないと

思ってしまうんです

たとえ一人で暮らしていても

他人には何らかの影響は

与えているはずなんです

見えないけど

生きているだけで

影響は与えているはずなんです

そう考えると

自分に訪れた幸福も不幸も

たまたまだけだったのかもしれないし

自分の行動の蓄積だけ

だったのかもしれない

それを誰も

解明できません

結局答えが出ない問題に

なってしまうっていうのが

結論ですね

本気で人を恨んでいても

行動で何かを起こさない限り

ターゲットへピンポイントに

ダメージを与えるなんてことが

出来るとは思えません

だから

思い違いとも考えられます

人間には得手不得手があり

この世界で生きていくためには

あらゆる自分の得意とする生き方を

尊重してなんとか生命活動を

していこうと思います

それは本能だからです

だから世の中には

状況によっては

本気で人を陥れようとしている者も

また

存在するとも言えるのかもしれません

そんな存在にも

そんな存在もちゃんと認識し

生きていかないといけないと

思いました🐲

 

ルピエライン (equalhuman.com)