さようならの向こう側・・・
人間は人と出会って
また別れます
出会いがあるということは
別れが存在するということ
人生で出会った人はすべて
自分があの世に行くことになると
すべて別れとなります
人間はこの世に生を受けて
生きている場合は
誰かと出会い、関わって
人と生きていくのです
人間は社会の中でしか存在せず
山奥に暮らそうが
住民登録はあるので何らかの形で
誰かと関わっています
日本ではそうなります
しかし地球上には未知の領域はまだあり
想像をはるかに超える
自然豊かな大地もまた
存在していることでしょう
日本社会に生きていて
仕事をしては過ごす人にとっては
テレビや映像の中でしか
その光景をテレビでは
観れるのかもしれませんが
肉眼ではなかなかお目にかかれないのも
事実だと思います
ネット社会が普及した現代も
地域や国によっては
観れないところもあるでしょう
ネット社会に生き
昔に比べればたくさんの情報が
当たり前のように
手に入るようになった日本では
それはすごい感謝ですが
同時に観れてしまうから
どこかに行かなくても
見ることができる便利さゆえに
どこも出かけなくもよくなった
なんてことは
よくある話なのかもしれません
さよならに向こう側が存在するのなら
それはいったいどんな世界なんでしょう?
そもそも
死別しない限り
職場を変えるとか
環境を変えたくらいで
その人と永遠に会わなかったとしても
地球上のどこかに
存在していて生きているのなら
そもそも
さよならという概念には
適さないような気がするのです
生存しているのなら
「じゃあ、またどこかで会いましょう」
これが正解のような気がします
じゃあ生きてる間に
さよならを言えるのは
自分が死ぬとき以外は
ないということになるのです
それか相手が死亡するか
そのどちらかになるのです
なんかこの
さようならの使い道が
いまいちよくわからない
使っている人を見てると
使われても困るし
言う時も適切ではないし
一体いつ言うんだ?
って思ってしまいます
どうでもいいことですが
こういうことってよくある話です
最近職場に行っても
「おはようございます」も
言わなくなりました
言わなくても良いのではないかとさえ
最近思います
さようならなんて
なおさら言わない
こんな状態が長く続くと
国語辞典から
おはようございますや
ありがとうございますや
さようなら
はじめまして
などなど
使われなくなって
無くなる可能性のほうが
高いのではないか
風化するのではないかと
最近そう思うようになりました
そう考えたほうが
よっぽど納得がいきます
さようならに向こう側があるのなら
それはこの世ではなく
あの世なのかもしれません
死んだら何も残らない
何も持って行かれないあの世
一体何があるんでしょう?🐍








